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   さて、2022年のヴィンテージから、弊社のワインリストに新たな二つのグランクリュが加わりました。これらの二区画はグロ家が継承してきた畑で、祖父ジャン・グロの妹、コレット・グロが相続したものです。コレットには直系の跡継ぎがいないため、彼女の区画を甥と姪たちに分け与えましたが、それらに関する畑仕事とワインの生産は彼女が経営していたドメーヌ・グロ・フレール・エ・スールに承継しました。2021年末を持って当該契約期間が終了したため、今後は私たちのドメーヌでもグランクリュのエシェゾーとリシュブールのワインを生産します。


GEN DE ART

April 2023

ミ シ ェ ル ・グ ロ

伝統 と職 人技 の継 承

ブルゴーニュの

ブルゴーニュ、ヴォーヌ・ロマネの中心
に位置するドメーヌ・ミッシェル・グロは、
1830 年代から代々、家族で引き継がれ
てきました。小さな畑からスタートした 一家は、 や が て その 真摯 な ワ イン造 りに
より、地域で最も尊敬される作り手のひ と つ に 数 え ら れ る よ うに な り ま し た 。

新世代のワイン造り

現 在 の 当 主 は、 数 年 前 に 父 の 後 を 継 い だ 7 代 目 の ピ エー ル ・ グ ロ 。 一 族 の ワ イ ン 造 り の 伝 統 を 知 悉 し、ブドウ畑に関する深い知識を持つ彼は、伝統 の手法を守りながら現代の課題に対応します。
エンジニアとなるべく勉強し、パリで6 年間働い たピエールでしたが、ワインに対する愛情と感謝
の気持ちを失うことはあ りませんでした。
ニ ュに 戻 っ て 家業 を手 伝 う か、 激 し く 議 論 し た と
「家族が作ったワインを紹介する試飲会を開催す るうちに、のめり込みました。ワイン造りと一族
現在、 ピエールは、 長年にわたって学んだ家族 の 伝統に沿ってワイナリー運営を行っています。「リ タイアを控え仕事を減らそ うとしていた父は、私 が 戻 っ て き た こ と を 喜 ん で く れ ま し た 。 お か げ で、 ドメーヌでやりたいことをやらせてもらっていま
の伝統に強い関心を持つようになったのです」 ピ エー ル と 2 人 の 弟 は 、 兄 弟 の う ち 誰 が ブ ル ゴー
す」
ワ イン造 りの根幹 の部分を変 えることはないもの の、新たな課題に対応するために様々な調整が必
い い ま す。 弟 た ち に そ の 意 思 が な い と 分 か った ピ エールは思いました。 「自分たちには素敵なドメ
ーヌがあり、素晴らしい家族の物語がある。誰も 戻らなければ、もったいない」
要だと彼は言います。

現代の課題への対処

気 候 変 動 の 影 響 も あ り、 ピ エ ー ル は 尊 定 の 方 法 を 変 え た り 、 除 草 剤 を 廃 止 したりするなど、時代に合わせたワイン造りを取り入れてきました。
「古 典 的 な ワ イ ン を 造 り 続 け る た め に は 、 カ ー ヴ での 手 法 や プロ セ ス を 現 代の状況に合わせることで、適切な熟成が行われるようにしなければなり ません」と彼は言います。
ピ エ ー ル に よる と気 候 変 動 は ブド ウ の 成 熟 に 大 き く影 し 、2 0 年前 、4 0 年前と比べ、現在のブドウはより早くより強く成熟するといいます。さら に、夏の降水量が年々減 っているため、 ブドウの立ち枯れを目の当たりに することも多くなりました。
しかし、気候の変化は、冷涼な地域でのワイン造りにおいては、大きなメ リットにもなり得るといいます。 「昔は、質の高いワインに必要なレベル に成熱 したブドウを作ることが非常に困難でした。今は気候の変化により、 毎年、適切な成熟度を得ることができ、しかもフレッシュさを保てるよう になりました。この地域は多くの恩恵を受けているのです。」

芸術性と職人技

ドメーヌ・ミッシェル ・グロでは、 ワイン造 りという芸術にふさ わしいラベルを、アーティストとのコラボレーションによって生 み出しています。1998 年までのドメーヌのワインは、ピエール の祖父による2 頭の獅子の伝統的図柄のラベルでリリースされ ていましたが、1999 年と2020 年の2度、ラベルは変更され ています。 ドメーヌでは、伝統的なイメージと環境の変化に調和 した新たなデザインを時代に合わせて取り入れているのです。
様々な課題を克服してきたピエールですが、 そのワイン造りの根 本は、職人的な技術と実直な仕事です。そんなこだわりは、ドメ ーヌが誇る単独所有畑の 「クロ・デ・レア」にも表れています。 こ の 冷 涼 な 気 候 の 2 . 1 2 ヘ ク タ ー ル の 区 画 で生 産 さ れ る の が 、 フ レ ッ シ ュさ と 酸 味 が 際 立 つ ド メ ー ヌ の 代 表 的 な 赤 ワ イ ン 「ヴ ォ ー ヌ・ロマネ・プルミエクリュ・クロ・デ・レア」です。一方、7 ヘクタールの区画 「フォンテーヌ・サン・マルタン」 では、ピノ ・ノワールやシャルドネなど、赤・白両方の品種が栽培されてい ます。白ワインの醸造では、24 時間のスキンコンタクト・マセ ラシオンという工程で、酸味を抑え、果皮の色素による深い色合 いを加えています。
ドメーヌ・ミッシェル・グロは、ワイナリー創立 160 周年を記 念し、特別仕様の「ヴォーヌ・ロマネ・プルミエクリュ・クロ ・デ ・レア」2 0 1 9 年ヴィン テージを リリースしました。 この限 定ワインは、長い歳月を通じ、常にワイン造りに誠実に向き合っ てきた一族の歴史の結実なのです。


この秋にリリースされた 2020 ヴィンテージをドレスアップする新しいラベルをご覧ください

移植植物の準備


2022年通年の作品の進化

9月17日、収穫に負けない好天の中、収穫が終わりました😊

新しい建物の工事は 2022 年の初めに始まりました。それは数か月続く予定です。 この新しい建物は、ラベル付けやボトル保管など、いくつかの生産ポジションに対応します。

Alain Echalier – Hiver 2020

現在、7代目で30歳のピエールが家業を継いでいます。ヴォーヌ・ロマネに位置するエステートは、23 ヘクタールをカバーし、完全にコート・ド・ニュイにあります。エステートの代表的なブドウ園の 1 つは、実際には壁に囲まれたヴォーヌ ロマネのプルミエ クリュ、クロ デ レアです。 2.12 ヘクタールの区画は 1860 年から家族が所有しており、独占されています。得られたワインはレースの優雅さを示しており、同じく家族によって生産された別のヴォーヌ・プルミエ・クリュであるオー・ブリュレの熟した豊かな特徴とは異なります。
「ブドウ畑での作業は、ブドウの木の位置が丘の上であろうと下であろうと同じです」とピエールは説明します。ブルゴーニュでは、村のアペラシオンは丘の下部に位置するブドウ畑に由来しますが、プルミエ クリュは一般的に中斜面にあります。 「しかし、上に行けば行くほど、リターンは低くなります」と彼は続けます。傾斜した土壌は水はけが良く、ブドウ畑は日光によく当たるため、果実がより早く熟します。一般に、収穫はグラン・クリュから始まり、プルミエ・クリュ、村の順に行われます。
セラーでの優遇措置もありません。果実は除梗され、発酵中にワインは再組み立てまたは抽出されます。逆に、プルミエ クリュの半分は新樽で熟成されますが、その割合は村では 25 ~ 30% で、地方のアペラシオンでは新樽は禁止されています。さらなる拡大が課題となっています。トラクターに取って代わられた馬の放棄は、搾取の地理的範囲を広げた可能性があります。しかし、今の問題は価格です。 「1 ヘクタールあたり約 200 万ユーロで購入した村のアペラシオンのブドウ園は、依然として理にかなっています」とピエールは説明します。 「しかし、1,200 万から 3,000 万ユーロと評価されるプルミエ クリュは、もはや人の人生への投資に対する見返りを保証できません。」


2019年は、クロ・デ・レアの区画をグロ家が1860年4月29日に購入して以来、単独所有でワイン造りを続け、160周年を迎える記念すべきヴィンテージです。クロ・デ・レアはドメーヌ・グロのフラッグシップとなり、数々の褒賞を受けてきました。1867年の万国博覧会で獲得した金メダルはその代表的なものであり、その時の記念ラベルを2009年のヴィンテージに再現しています。このラベルは2019年のヴィンテージにも貼られます。


2019年は新たなアペラシオンが誕生する年でもあり、私たちのラインナップにジュヴレ・シャンベルタン《ラ・プラティエール》が加わります。

区画の平均樹齢は45年で、ジュヴレ・シャンベルタンの典型的な個性を味わいに引き出せるラヴォー渓谷下方の沖積土壌にあります。私たちは他のワインと同じように土に働きかけ、ブドウを栽培し、醸造しました。そのため、ジュヴレらしい個性を持ちながらも、ドメーヌが守る老舗の味が私たちのアイデンティティとして伴っています。


例外的に早く、2020 年の収穫は 2020 年 8 月 28 日に始まりました。完全な衛生状態、良好なバランス、しかし夏の降水量が不足しているため収穫量はかなり少ないです。 ワインは現在、樽で約18か月熟成されています。

2020 年の夏、新しい 29 hl のフードルがセラーで行われました。


容量12個(つまり27hL)の最も古い樽の1つをルソー樽で解体。 修理不可能な漏れがいくつかあったため、新しい稲妻に交換することにしました。